牧師の聖書コラム

 

第1回 「聖書濫読」
上林順一郎

 「聖書は永遠のベストセラーである」と言われています。おそらく、世界でもっとも数多く出版され、またもっとも多くの人に読まれている本です。 
 しかし、多くの人が聖書を一度は手に取り、ページを開いた経験があっても、ほとんどの人が再び聖書を開くことがないというのも事実です。皆さんも「聖書は難しくて、一度ぐらい読んでもわからない」、「退屈で、おもしろくない」、「自分とはあまり関係がない」という感想を持っておられるかもしれません。 しかし、聖書は決して難しいものではなく、また単なる昔話でもありません。実は聖書ほどおもしろいものはないのです。  
 「読書三到(さんとう)」という言葉があります。「眼到(がんとう)」すなわち目でよく読むこと、「口到(こうとう)」声を出して読むこと、「心到( しんとう)」心を集中して読むこと、この三つが読書での大切なこととされてきました。  
 聖書を読む時も同様のことが言えます。私は「読書三到」になぞらえて、「聖書三読(みどく)」を提唱しています。まず「味読(みどく)」すなわち聖書を味わいながら読むこと。次に「魅読(みどく)」聖書に魅了されながら読むことです。そして「身読(みどく)」頭の中だけで読むのではなく、体で感じながら読むことです。これが聖書を読む秘訣であり、聖書の言葉が身につくものとなります。  
 そしてもっと大切なことは、わかっても、わからなくても読み続けること、「読書百遍、意おのずから通ず」といいます。「乱読(らんどく)」でいいのです。間違っても「未読(みどく)」にならないこと、それがポイントです。
 とりあえず次回から「聖書乱読(みだれよみ?)」を掲載します。お付き合いくださればうれしいです。
2020年6月


ウィンドウを閉じる