牧師の聖書コラム

 

第9回 「キリストに従う」
上林順一郎

 「お釈迦(しゃか)さまは安らかに大往生ですよね。おおぜいの弟子や動物にも囲まれて・・・あんな死に方、いいなと思います。比べちゃいけませんけどね、キリストの死に方は、痛そうでねェ」お寺に生まれた永六輔さんの言葉です。
 確かに、「仏涅槃図(ぶつねはんず)」に描かれているお釈迦さまはやすらかで、穏やかな姿です。それに比べるとキリストの死は悲惨です。十字架の上で血を流し苦しみ悶えながらの死だからです。
 この2月17日からキリストの苦しみを覚える「受難節」が始まります。今年は4月4日のイースターの前日までの40日間になりますが、教会ではこの期間、悔い改め、断食、修練、祈りの時として過ごてきました。それはキリストの苦しみを共にするために自分なりの克己や節制に励む信仰の時です。
 カトリック教会には「十字架への道行き」という信仰の行為があります。礼拝堂の壁にはイエス・キリストの受難の道行きを14の場面に描いた絵や彫刻があり、その前に立ち止まり、受難の場面を見ながら聖書の言葉を読み、お祈りを捧げることが行われます。プロテスタントの教会にはない行為ですが、とても意味深いものだと思います。受難節だけでなく、イエス・キリストの十字架の苦しみを常に思い起こしつつ、信仰の歩みをするのが私たちの信仰だからです。
 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコによる福音書8章34節)とイエス・キリストは言われます。教会の中の「十字架の道行き」の前で聖書をよみ、お祈りをすることも大切ですが、毎日の生活においてイエス・キリストに従っていくとはどういうことかを考え、日々キリストに従った生活をすることが受難節にあたって特に大切なことだと思います。

2021年2月


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