牧師の聖書コラム

 

第10回 「イエスと共に休もう」
上林順一郎

 所沢教会の前には案内の看板があります。日曜日の礼拝の説教題や集会への案内が書かれていますが、他の教会では聖書の言葉が書かれているところも多くあります。調べた訳ではありませんが、おそらくいちばん多い聖書の言葉は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)ではないかと思います。
 実際、この言葉を見て初めて教会に来る人も多いのです。確かに心に訴える言葉です。それと言うのも、私たちはいつも日々の生活で疲れており、重荷を背負って生きているのを感じているからです。「休ませてあげよう」という言葉は身に染みるのです。
 ところで「休ませてあげよう」という言葉ですが、漢字では「休」は「人へんに木」です。高校時代、国語の先生から「体」(からだ)をツッパッテいる横の棒を取ってリラックスしている姿だ、と教えられたことがあります。どうもこじつけのようです。
 聖書で「休む」という言葉は、「元気になる」という意味の言葉で、名詞形になると「休耕地」となります。休耕地とはある期間、土地に何も植えないで休ませて十分に栄養分を与え、土地の力を回復させることです。ですから、休むというのは単にくつろぐことや何もしないことではなく、むしろ「元気を回復」ということになるのです。
 「私のもとに来なさい、休ませてあげよう」と、言われるキリストは私たちを迎え入れ、横に並んで一緒に歩き、私たちの疲れた日々や重荷を支え、共に担ってくださるのです。
 「さあ、元気を出して一緒に歩こう」と、声をかけてくださりながら。

2021年3月


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