牧師の聖書コラム

 

第12回 「受けるより、与えるさいわい」
上林順一郎

 聖書の舞台であるパレスチナには二つの湖があります。北の方にあるのがガリラヤ湖、南の方にあるのが「塩の海」とよばれる湖です。北のガリラヤ湖には緑の多い美しい湖畔が広がっていますが、南の「塩の海」は名前の通り塩分が非常に強く、魚もほとんど済まず、湖の周りには緑はほとんどなく、赤茶けた風景が広がっているだけです。そのことが理由でしょうか、人々はこの湖のことを「死の海」と呼んできました。
 二つの湖の内、北のガリラヤ湖は周辺の山から流れる水を受け、ヨルダン川を流れて「塩の海」にまで流れ込むのですが、一方「塩の海」はそこから流れ出る川がなく、流れ込んできた水を貯めこむだけで外に出ることがなく、水の塩分が強くなり、周辺も塩の塊や岩塩ばかりで、生き物も生息しないのでしょう。
 このことは私たちの社会や人間の生き方に対しても同じことが言えるのではないでしょうか?欲望のままに受け入れるだけで、それを他人に対して分かち合おうとしないなら、その人だけでなく周辺のものまでも「死の海」にしてしまうことになりかねません。
 クリスチャン詩人の八木重吉の詩に「もの欲しいこころからはなれよう できるだけ つかんでいる力をゆるめよう みんな離せば 死ぬるような気がするが むりにいこぢな きもちをはなれ いらないものから ひとつづつはなしていこう」というのがありますが、自分も生かされ、他人も生かしていくという生き方が求められているのではないかと思います。「受けるよりは、与える方が幸いである」(使徒言行録20章35節)という聖書の言葉がいまは大切なものではないでしょうか。
2021年5月


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