牧師の聖書コラム

 

第14回 「荷物は一つより、二つがいい」
上林順一郎

 教会の前には掲示板がありますが、そこには「疲れた者、重荷を負う者はだれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」というマタイによる福音書11章28節の言葉がよく書かれています。イエスのもとに行けば、すべての疲れが癒され重荷から解放されて、休息が与えられる、こう約束されているのです。しかし、それはイエスの言葉を半分しか理解しただけです。
 イエスは続いて「私のくびきを負いなさい」と語ります。くびきとは、田畑を耕作する二頭の牛馬をつなぐ横棒の器具のことで、一頭だけで負っていた作業を二頭で分け合うことで負担を半分にするのです。
 北海道の遠軽に「北海道家庭学校」という児童施設があります。ここはいろいろな事情で家庭にいることができない子供たちや法に反する行為があってこの施設に送られてきた子供たちが家族のように一緒に生活しながら学ぶ場所です。ここにいるこどもたちはそれぞれ重荷を背負って生きているのですが、その重荷を一緒に背負っている校長の谷昌恒さんは「ひとむれ」という本で次のように書いています。
 「大きな荷物一つ肩に担ぐと重いのです。振り分けか、天秤棒の二つの荷物は軽いのです。自分は、自分のことだけで精いっぱいだ、人のことなど構っていられない、そんな風に考え、自分一人の荷物にしがみついていると、荷物はずっしり重いのです。あの人は自分のことだけで、大変なはずだと、そう思われている人が、多くの人の心配事を担い、力を貸し、共に労を分かち合っている。本人は平気な顔をして、人の重荷を担っている。他人の荷物を負っていることで責任を感じるのか、確かに荷物は一つより二つのほうが軽いのです」
 重荷を背負って歩いている私たちですが、イエスのくびきを共に負うことによって重荷が軽くなるのです。イエスが私たちの重荷の半分を背負ってくださっているからです。
2021年7月


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