牧師の聖書コラム

 

第16回 「夕暮れになっても、光がある」
上林順一郎

 9月20日は「敬老の日」です。いま日本は急激に高齢化が進んでいます。今後も少子高齢化の状況が進んでいくことでしょう。そんな中で迎える「敬老の日」ですが、言葉だけで実態はあまり伴っていません。時には「軽老の日」とか「傾老の日」と揶揄されることもあります。しかし教会ではその日を「恵老の日」と名づけて、「老いの時こそ恵みの日」と神様に感謝し、お互いに老いの恵みを分かち合う時としています。
 「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負っていこう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ書46:4)と聖書にはあります。老いとは神様に背負われている日々のことでもあるのです。
 100歳を過ぎても現役の医者として活躍された日野原重明さんは『老いを創める』という本の中で、「老いるタイプ」を次のように分けています。第一のタイプは「抵抗型」です。いつまでの自分は若いと言い張って、老いの現実を受け入れようとしない人のことです。
 第二は「不平不満型」です。思うようにならないことを他人のせいにして文句ばかり言うタイプです。三番目は「自己嫌悪型」です。思うようにならないことがあるとすべて自分のせいにしてうつ的になるタイプです。そう言えば、最近なんだか「不平不満」が多くなっているように感じます。老いてきた証拠でしょう。
 しかし、人間はだれでもいやおうなく老いていき、避けることはできません。そこで日野原さんは第四のタイプ「しなやか型」を勧めます。それは「平穏に老境に入り、精神的な葛藤やストレスがなく、自分を肯定して受け入れ、他人を責めず、過去を悔やまず、現在を無駄にせず、日ごろの活動と人間関係に心から満足する」ということです。それができれば苦労はないのですが・・・
 わたしは「背負われ型」を個人的に勧めています。イザヤが語る「神様に背負われ、すべてをゆだねて生きる」ことです。それが一番楽な気がします。
2021年9月


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