牧師の聖書コラム

 

第17回 「わたしはあなたを忘れない」
上林順一郎

 コロナ禍がすこし収まり始めたようで、このまま終息してくれることを願っています。
この間、自粛生活が続き外出して友達と会って話す機会がなくなったせいか、なんだか「物忘れ」がひどくなったような気がします。先日も連れ合いに「あれどこにある?」と言ったところ、「あれって、なんですか」との返事。「あれだよ、あれ」、「あれではわかりません」「あれだよ」「これですか」「それ、それ」
 「あれ、これ、それ」の三つの単語だけの会話でした。人間は忘れる動物だと言われますが、この歳になると、どんどん忘れていくようで心配です。
 ある哲学者が物忘れする言葉には順序があると言っているそうです。最初に忘れ始めるのが名詞で、特に、人の名前などはすぐ忘れます。目の前の顔が浮かんでいるのに、名前がどうしても思い出せないということをよく経験します。次に忘れるのは形容詞で、最後まで忘れないのが動詞だそうです。人間が最初に聞く言葉が動詞だからかもしれません。
 信仰がなかなか身につかないのは、もしかしたら動詞を使わないからかもしれません。確かに、キリスト教での会話には名詞が多いですね。神、愛、天国、教会、礼拝、罪、救い、などなど・・・もしこれらの言葉を動詞で言い表すとすればどのようになるでしょうか。
 認知症がひどくなり、病院に入院していた先輩牧師がいました。亡くなる直前にはイエスもキリストもわからなくなっていたそうです。介護しておられた連れ合いは「あんなに信仰深い人だったのに、すべて忘れてしまっているようです」と哀しそうに語っておられました。
 わたしもいずれそうなるかもしれないと、とても不安です。でも、神様は「たとえ、女が自分の子を忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける」(イザヤ書49:15,16)と言ってくださいます。
 だからいまは、安心して物忘れをしようと思っています。
2021年10月


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