牧師の聖書コラム

 

第20回 「ヨコの広さとタテの深さ」
上林順一郎

 キリスト教と言えば、十字架がシンボルです。教会にはかならず十字架があるのはそのためです。この十字架はヨコの棒とタテの棒の組み合わせからなっています。このヨコの棒はこの世界を表しているといわれます。それは人間が支配する世界で、罪の世界と言えるでしょう。ヨコの軸が示すこの世界の果てに至るまで神の平和と義と喜びの福音を伝えることが教会の使命です。しかし、「ヨコの広さ」だけを使命とすると、教会の拡大や増大を目的にすることになりかねません。十字架にはタテの軸があります。このタテの棒は世界を突きぬいて下へと深く向かい、死者の国(陰府)へと届いています。
 十字架の二つの棒は神の愛の姿を現しています。神の愛は地の果てまででなく、死が支配する一番深い所まで届いているのです。神の救いは「地の果て」と「地の底」にまで届き人々を救うのです。教会はその救いの福音を「地の果てと地の底」にまで伝える使命(ミッション)があるのです。
 マザー・テレサは修道女となってインドのカルカッタの貧民街に住み、路上で倒れている人々のために「死を待つ人々の家」をつくり、さらに遠くの村まで出かけハンセン病で苦しむ人々を抱き、体をさすり、死んでいく人々のために祈り、葬儀を行いました。そこは「地の果て」であり、また見捨てられ死に行く人々に最後まで寄り添って生きたところでした。彼女は世界で最も貧しいところで生涯を終えました。
 「神はあなたを愛しておられます。神があなたを愛してくださるように、私たちも互いに愛し合いましょう。愛とは分かち合うこと、私たちにある最善のものを与えることです。私たちは、神の愛の運び手なのです。そして、あなたがたがだれであれ、あなたが神の愛の運び手になれるのです」(マザー・テレサ)
 彼女が亡くなったとき、所有していたものは「サリー二枚とバケツ一つ、そして十字架だけでした」彼女の十字架はヨコの広さだけでなく、タテの深さに届いたものでした。
2022年1月


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