牧師の聖書コラム

 

第21回 「万事を益とする神」
上林順一郎

  冬季オリンピックが北京で開催され、日本選手の活躍が報道されていますが、コロナ禍のため競技会場での声を出しての応援などは禁止されているそうです。しかし、主催国である中国人選手への応援は盛大で、観客が一斉に「加油(ジャヨウ)、加油(ジャヨウ)」と大声で応援する姿がテレビに映っていました。加油というのは、「がんばれ」という意味だそうですが、文字通りには「ガソリンを入れよ」ということで、なるほどと思いました。
 日本語では漢字で「頑張る」と書き、「頑なに我を張る」という意味から来ていると言われていますが、「眼張る」から来ているという説もあります。「目を見開いてしっかりと前を見て備える」ということです。
 聖書に「摂理」という言葉があります。英語では「providence」といい、「前を見る」、すなわち「神の業を見る」という意味です。パウロは「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように、共に働くということを私たちは知っています」(ローマの信徒への手紙8:28)と言っています。神がすべてのことを私たちの益となるように頑張ってくださっている神を信じるのが摂理(せつり)の信仰です。
 私たちは未来とは自分の力で切り開いていくものだと考えています。たしかに、努力や頑張りによって自分の人生を切り開いていくことは大切です。しかし、それは自分の努力や頑張りを功績として誇ることになりますし、自分の人生は自分が主人公であると考えるようになります。しかし、聖書は人間の力を絶対的なものとしてそれにより頼むのではなく、「万事が益となるように、わたしたちと共に働いて下さる神」にすべてを委ねつつ、しかも今の時を神と共に精いっぱい生きることを教えているのです。それがキリスト教の信仰なのです。
2022年2月


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