牧師の聖書コラム

 

第23回 「 復活~わたしから、あなたへの転換」
上林順一郎

  春はイースターの季節です。今年は4月17日の日曜日がイースターでしたが、イースターはクリスマスと並んでキリスト教の最も重要な祭日で、イエス・キリストの死からの復活をお祝いする祭日です。
しかし、「復活」というと、死からよみがえることですから、現代人はそのような出来事を信じることは難しく、特に日本ではイースターはクリスマスほど一般的ではありません。多くの人は人間は死ねばそれでお終いと思っていますから、復活などばかげたことと思うのが普通でしょう。
 わたしの知人で、若い頃に重い肝臓障害のためにいのちの危機に陥った人がいました。医者からは肝臓の生体移植をするしか生きる道はないと言われました。しかし、当時の日本では生体間移植が許されておらず、彼はアメリカに渡り、肝臓移植の手術を受けることになりました。幸い、手術は成功し、彼はいのちを永らえることができたのですが、手術後、自分の体の中に、見知らない他人のいのちが宿っていることを実感したそうです。
 彼はその体験を「自己の確立(アイデンティティ)」ではなく、「ウイデンティティ(Wedentity)」と名づけ,生き返ったいのちは自分一人のいのちではなく、他者と共に生きている愛のいのちと呼び、それが本当の「愛デンティティ」であると言いました。
 パウロという人も復活のイエス・キリストに出会って、新しいいのちを生きた人でした。彼はこう言います。「わたしたちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じます」(ローマの信徒への手紙5:8)
 復活とは、死んでいるような日々を生きているわたしたちが、復活されたイエス・キリストと共に生きることが許され、生きることの真の意味と喜びとを与えられることです。死によってすべてが終わるこの人生を、にもかかわらず、希望と喜びに満ちて他者と共に生きていくことができる、それが復活のいのちなのです。死ぬべきわたしたちのからだのなかに復活のイエス・キリストのいのちと愛とが宿るからです。
 「罪人のわたしから、イエス・キリストの愛のいのちへ」と、転換する人生、それが復活です。

2022年4月


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