牧師の聖書コラム

 

第24回 「 平和の色は?」
上林順一郎

 「平和」を色で表すと何色になるでしょうか?ある人が1945年8月15日の敗戦の日、空を見上げると真っ青な空が広がっていたと書いていますが、その人はきっと空の真っ青な色に平和を実感したのでしょう。一方、「戦争」は何色で表現されるでしょうか?戦争のまっただ中にいる子どもたちの描く絵には黒や赤の色が多いそうです。爆撃によって町や家々が燃え上がる黒い煙、爆弾の破片や銃弾の巻き添えを受けて傷ついている子どもたちや女性たちの体から流れ落ちる血の色、それら黒や赤の色が戦争の色と言えるでしょう。
 ロシアが一方的に武力でもってウクライナに侵略してすでに三か月以上たちました。しかし、戦火は終わることなく、きょうもウクライナの空からは国旗の色である「青い」空が失われ、ウクライナの「黄金色」に輝く小麦畑は真っ黒な焦土に変わってしまっていることでしょう。ウクライナから「平和の色」は失われてしまっているのです。
 「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊とともに伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子どもがそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らはともに伏し、獅子も牛も等しく干し草を食らう」(イザヤ書11:4~7)
 旧約聖書が平和について預言している言葉です。そこには強い獣たちと弱い家畜たちとが共に青草や干し草をたべて共生している姿が描かれています。戦争とは力の強いものが弱い者を支配し、勝利を収めることが目的です。しかし、力の支配は長続きすることはなく、いいずれは滅んでいくことは歴史が証明しています。
 イザヤが語るように、平和は強い者と弱い者が共に「草を食んで」生きることです。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ書2:4)ことが平和にいたる唯一の道なのです。
“わたしの まちがひだった。わたしの まちがひだった。こうして 草にすわれば それがわかる”
 クリスチャン詩人の八木重吉の「草に すわる」という詩です。ロシアもウクライナも、そして世界中の国が、いま「草に すわる」ことが求められているのではないでしょうか。
 平和を求めるのなら。

2022年5月


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