牧師の聖書コラム

 

第26回 「“まさか”の先にあるもの」
上林順一郎

 人生には三つの坂がある。のぼり坂、くだり坂、そして〝まさか“です。
 元首相の小泉純一郎さんがテレビの前で話したこの言葉が一時期世の中に広まりましたが、たしかに私たちの人生には「のぼり坂」があれば、「くだり坂」もあり、そして”まさか”という坂もあります。
 わたし自身はこれまで「のぼり坂」を上ったことはなく、多くは「下り坂」の人生を歩んできたような気がします。さらに“まさか”の坂にはなんども出会いました。
 ”まさか”は突然の不幸であったり、予期しない挫折であったり、思いがけない失敗としてありました。その都度、不運を嘆いたり、自分の弱さを悔やんだり、反対に他人の幸福を恨んだり、呪ったり、“まさか”は自分の内にある暗闇とつながっていました。
 しかし、その“まさか”のどん底でイエス・キリストに出会ったことも事実です。
 いま思えば私にとって、それが本当の“まさか”でした。
 「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(コリントの信徒への手紙二、12:9)

“大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと 神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった
偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
求めたものは 一つとして与えられなかったが
願いはすべて 聞き届けられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは すべて叶えられた
わたしは もっとも豊かに祝福されたのだ“

ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁に書かれていた詩だそうです。

2022年7月


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