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上林順一郎
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10月、紅葉も見ごろとなり旅のシーズンの真っ最中です。人生は旅にたとえられることもありますが、80歳を過ぎた人間には旅は楽しいけれど旅の後の疲れの方が大きいこの頃です。人生の旅も終わりに近づいているからでしょうか。
『寅さんとイエス』という本を書いた神父さんがいます。著者は「寅さんとイエス」の共通点は「フーテン性」にあると言います。フーテンは漢字で「瘋癲」と書きますが、辞書には「家出をするなどして定職を持たず、奇抜な服装をしたり世間のひんしゅくを買うような行動をしたりする人」とあります。確かに、イエスも親元を飛び出し、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子(イエスのこと)には枕するところもない」(ルカ福音書9:58)と、生涯放浪の旅をしていた「フーテン」です。
イエスはなぜ「フーテン」をしたのでしょうか?それはこの世界の常識や規則づくめの生活から自由になり、この世の権力や支配者に従うことより、ただ「神に従って生きる」という自由を選んだからです。
「人の子は仕えられるためではなく、仕えるためにまた、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」(マルコ福音書10:45)これがイエスの「フーテン性」の姿だったのです。
“いつだったか、きみたちが空を飛んでいくのを見たよ。風に吹かれて、ただ一つの物を持って 旅する姿がうれしくてならなかったよ。人間だって、どうしても必要なものは
ただ一つ。わたしも余計なものを捨てれば空を飛べる気がしたよ”(星野富弘・詩)
人生の旅は「聖霊という風」に吹かれて空を飛ぶようなもの、その自由さが聖霊の下さる賜物です。残された短い旅の時、余計なものを捨てて空を飛んでみます。
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2022年10月 |
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