牧師の聖書コラム

 

第39回 「平和を想う」
上林順一郎

 ♪この木、なんの木、気になる木、名前の知らない木ですが・・・♪
 テレビで時々耳にするある会社のコマーシャル・ソングです。広い草原の真ん中に大きな木が一本、そしてこの歌が流れてきます。その大きな太い木は地面に根を下ろし、天に向かってどっしりと立っています。そして葉をたくさんつけた枝が地上を覆うように広がっています。その木がなんの木か知りませんが、どこか平和な姿にほっとします。
 8月になると日本ではかつての戦争の記憶を思い起こし、平和への祈りをささげるのですが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まって1年半以上もなり両国の戦争は終わる気配はないどころか、ますます泥沼に入り込んでいくようです。すでに両国合わせて20万人以上のいのちが奪われているとのことです。
 紀元前7世紀、当時の大国バビロニア帝国の侵略を受けた小国のイスラエルは武器を手にして戦おうとするのですが、預言者イザヤはこう告げました。
 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣(つるぎ)を打ち直して、鋤(くわ)とし、槍(やり)を打ち直して鎌(かま)とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」(イザヤ書2:4,5) イザヤは武器を捨て主の光の中、すなわち平穏な日々の農耕生活に生きることを告げます。しかし当時の指導者は戦争を選び、その結果イスラエルはバビロニア帝国に破れ、国民の多くはバビロニアの地に捕囚として連行されます。エルサレムの神殿は破壊され、国土は荒廃しました。
 かつての日本も同じ道を歩みました。再び剣を取り、槍を持つことをしないと決心した日本ですが、いま再びかつての道を歩もうとしている危惧を強く感じます。
 「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。この目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(憲法九条)
 この夏、この憲法九条をもう一度読み返してみてはどうでしょうか。

2023年8月


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